外国語を学んでいる人に共通するのは
学んでいる言語を話す人と友達になりたいという強い思いだ。
日本で英語を学んでいると
英語ネイティブの人たちと知り合いになりたいと思う。
かつての私もそうだった。
海外にいると、それが時々逆転することがある。
昨日のビーチで、日本語を学んでいるというカナダ人に会った。
2015年に日本に行ったことがあり
また訪れたいと思っているという。
前回は大きな都市を回っただけだったが
次行く時は地方へも足を延ばして
日本語でコミュニケーションを取りたいのだとか。
そのために勉強を続けているらしい。
英語でのあいさつは、まず互いに名前を名乗り合うが
私の名は典型的な日本人の名前なので
ほぼ誰もが日本人だと気づく。
名前を名乗った後の流れは大抵同じだ。
「ニホンジンデスカ?」
「ワタシハ、ニホンゴガ スコシ シャベレマス」
昨日の彼もそうだった。
途中、英語にスイッチして話していても
「チョットマッテ コレ ニホンゴデ イイタイ…」と
脳のメモリを高速回転でサーチして
覚えたフレーズを使おうする。
同じ境遇であるがゆえに
気持ちは痛いほど分かるし、親近感も湧く。
ただ、あまり長いこと引き留められても正直困る。
私はビーチバレーをしに来たのであって
日本語レッスンの相手をする時間はない。
彼もそこは敏感に感じ取ったのか
「ペッパー緒にしない?」と引き留め工作に入られた。
ペッパーとは2人組でパスしたり打ちあったりする
バレーボールのいわば準備運動のようなものだ。
要はただ立ち話するのではなく
バレーをしながら話を続ける作戦に打って出てきた。
こういう積極性は私には真似できない。
幸運にも!?旦那に呼ばれゲームに入ることになり
話はそこで終了した。
初対面でここまで食いつく積極性は
日本人にはあまりない気がする。(いや、私ができないだけか?)
そんな人に会って、トロントに初めて来た頃のことをふと思い出した。
何か運動がしたくて日本人主催のテニスサークルに参加した時のことだ。
韓国語を勉強中のカナダ人が参加者の中にいたのだが
初めは普通に会話をして冗談を言い合っていたはずなのに
そこに韓国人2人が現れたとたん、私の問いかけには反応しなくなった。(笑)
彼女たちに吸盤のようにくっつき、韓国語談義に花を咲かせていた。
そりゃ、私なんかより韓国語ネイティブと話したいわな。
でも冷たすぎやしませんか?
いずれにしても、相手の迷惑を考慮する気配りは絶対に必要だが
(というか、気を配って欲しい…)
この ”アウトプットする機会を逃さない” 積極性は
私も少し見習わなければならない。
アウトプットなしで会話力は上達しないのだから…
(でもそれが難しいのよ私には)
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