自己中

カナダ/カナダ人

友人と話していると、”カナダ人あるあるか…”
という結論に達することが多々ある。
結婚は赤の他人どうしが一緒になるのだから、
そもそも “相違” があって当然だ。
同じ日本人同士でさえ、育った地域や家庭によって
習慣も違えば考え方も違う。
それに加えて国が違えば、その “相違” のギャップは無限に広がる。

私はありがたいことにあまり悩まない性格だ。
旦那には腹の立つこともたくさんあるし、
“選択を間違えたか・・・?“と嘆いたことも幾度か(どころか何度も?)ある。
ただ、それを悶々と抱え込むのは性に合わない。

”こんなひどいこと言うのはうちの旦那だけだろ”と
旦那の人格を疑うことが多々あるのだが、
実はコレ、意外とカナダ人気質なるもので、
どこの旦那さんでも同じケースであることが多い。
友人と話していると、
「そうそうそうそうっ!!!」と、お互いに200%うなずき、
大抵は ”これもカナダ人あるあるか” or
”文化の違いのせいか” というところに着地する。

今朝も、朝っぱらからケンカを吹っかけられた。
2人でキッチンに立ち、私はコーヒーを、
旦那は朝食の準備をしている時だ。
目の前には作り付けの棚があるのだが、
その扉の小さなノブに赤い輪ゴムが1本かけてあった。
昨夜キッチンを片付けた際に、
キッチンに放置され(旦那が放置した)濡れていたゴムを拾い、
乾かすためにそこにひっかけておいたものだ。

卵などをスーパーで買うと、レジでゴムをかけてくれる。
これらのゴムは便利なので私は再利用のためにキープしておく。
それが目障りだと以前から文句を垂れていた。
しかし、このゴムを一番利用しているのは旦那だ。
(彼は見たくないものが目の前にあるのを嫌う傾向にある)
背の低い私がひっかけやすいノブは、
彼にとっては目障りな場所。
仕方なく、一番端の一番高いノブにひっかけるようになった。
ただ、昨日はゴムが濡れていたため、
一時的に干す意味で目の前にかけていただけだ。

「輪ゴムなんか見たくないって言ってるだろ!」と
ケンカ腰に吐き捨てるなり、そのゴムを捨てる旦那。
「ちょっと乾かしてただけだって」と反応すると、
どんどんエスカレートしていき、
右上のノブにたまっていたゴムまで全部捨てようとした。
押し問答のラリーが数回続いたあとに、
「俺はただ、ゴムをここに掛けないでくれと言っただけだ。
それに対して、なぜ君は ”OK” とだけ言えないんだ?」とほざいた。

おいおい、自己中もいいとこだ。
しょっぱなからケンカ腰で「ゴムなんか見たくない!」とわめいたのは
どこのどいつだ?!
それなら私の方こそ
「このゴム捨てていい?」とか「ここに掛けないでくれる?」と
なぜ優しく頼めないのか?と言いたい。

そもそも私が丁寧に拾ってキープしているゴムを
最大限利用しているのはあなただ。
文句どころか、感謝してもらいたいくらいだ。
私は堪忍袋の緒がきれると作業が荒くなる。
これは母親ゆずりで、ぶつけ所のない怒りは物に向けられる。
とは言うものの、皿や何やらを投げまくりたいほどの衝動も、
後のこと (片付けるのは自分/費用がかさむなど)を考えると
そこまでできないのがもどかしい…

すると、「子供じみた行動をするなよ」とたしなめられる。
この言葉は私の中で燃えたぎる火に油を注ぐだけだ。
カナダ人は自分の言いたいことを吐き出すと、
何事もなかったように平常に戻る便利な特技を持っているが、
私の機嫌はそう簡単に修正できない。
「輪ゴムごときで、なんでそんなに機嫌が悪くなるの?」と
平然とかます相手に
「輪ゴムごときで、よくもここまで私の神経を逆なでできるな」と叫びたい!

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