オリンピック漬けの毎日を送っているわけではないが、
ぼちぼちニュースは追っている。
今朝は最初に、”日本の陸上男子400mリレーが決勝へ”
というニュースが目に入った。
そして関連した記事を見ているうちに、
「組み分けに泣かされる」という記事に行きあたった。
予選2組の1、2位のタイムは、1組の7位のタイムよりも遅い。
これって単純にタイムで見ると、すっごい不公平に感じる。
この1、2位でフィニッシュしたチームは
1組で走っていたらビリっけつてことよね??
陸上や水泳など予選がある競技は、
ライバルの実力を考えながら、
いかに自分の力を温存して決勝までコマを進めるか。
そして決勝でいかにして最高のパフォーマンスを発揮するか。
そういう戦略を練ることも
レースの一部であるというのを
どこかで聞いた記憶がある。
とは言いながら、組によってここまでタイム差があるのもどうなのか?
何ともいえないモヤモヤが残る。
審査員のジャッジで得点が決まる競技も、
時に???と感じる結果になることがある。
建前上、技術だけをジャッジしているとされるが、
人間が判断する以上、受けとった”印象”が
少なからず影響すると私は思う。
審判のジャッジが流れを左右する
球技のような競技においても、
不公平なジャッジを目の当たりにすることはしょっちゅうだ、
大きなものになるた “世紀の大誤審” などと騒がれる。
スポーツにおける勝負とは、
こういった不公平さもひっくるめたものということになる。
「勝負は時の運」とはよく言ったものだ。
運を味方につけられた人だけに勝利の女神が微笑むとは、
なんともシビアな世界よ…
私はそんなシビアな勝負の世界では到底生きていけない人種だ。
スポーツは得意な方だが、そもそも一番大事な勝負への執着心がない。
一番になりたいというハングリーさの欠片もない。
ただ楽しくプレーしたい。
その上で少しでも上達すればなおよろしい。
しかし、そんな凡人でも不公平を感じることはある。
高校時代の部活で、2年になった時にコーチが変わった。
着任早々、彼は自分の方針を私たちに告げた。
「練習で声が出ていない奴は絶対に試合で使わない」
と吐き捨てるように言った。
声の通る人と、通らない人がいることを考慮した上での発言か?と問いたい。
チームには一際通る声を持っている人がいた。
彼女の声は体育館中に響き渡る。こういう人はめちゃくちゃ有利だ。
苦しい中でも声を出して頑張っているという絶大な印象を与えることができる。
実際に「お前ら声出せよ!〇〇の声しか聞こえねぇぞ」と
怒られていたのだから明らかだ。
恵まれた声の持ち主は、大抵は普通に声を出しているだけだ。
こっちは、身体から振り絞って声を出していても届かない。
不公平な話だ。
私の声は全く通らない。
インストラクター時代も、見学に来たボスに、
「お前の声は全く聞こえてこない」と、おしかりを受けたことがある。
スタジオのサイドに行けばかすかに聞こえるが、
音楽にかき消されて、スタジオの後ろへは届いていないと言われた。
自分の最大ボリュームで声を出しても無理なものは無理なのだ。
オリンピック選手の4年間の苦労が
一瞬にして消えてしまう不公平さとは雲泥の差の話ではある。
同じトピックで上げているのが恥ずかしい限りだが、
記事を読んでいてふと、
基本的に世の中って不公平だらけだよな…と
ちょっとネガティブな考えがよぎった朝だった。
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