Do you want?の違和感

言葉

Do you want・・・?と聞かれると、
NOと答えたくなるのが私の性。
これは決してDo you want…?疑問文すべてじゃない。
Noと言いたくなるのは、
何かを依頼する時に使われる Do you want…? だ。

本当にいまだに慣れない。
これは旦那が頼み事をしてくるときに必ず使う。
こちとら自分の仕事で手一杯なのに、
「Do you want to help for me?」と言われても、
まずは「No, I don’t」と言ってしまいたくなる。
依頼だとは分かっていても、
“want” に日本語脳が引っかかってしまうのだ。
やりたいか/やりたくないかで言えば、
手が離せないのだからやりたくないに決まっている。

昨日も夕飯について
「Do you want to make some rice
and eat leftover stake?」と
旦那が出かける20分前くらいに急に聞かれた。
その30分程前に「夕飯はマッシュルームパスタでいい?」と
聞かれたばかりで、done deal だった話だ。
夕方6時から地域のミーティングに参加する予定だったことを
ふいに思い出しての発言撤回だった。

私の夕飯を気にしてくれるのはありがたい。
ただ、「ごめん。今夜は自分で何か作って食べて」
と言われた方が私の脳は受け入れやすい。
“なぜ作りたいか、食べたいかを聞くのか?”
”今さっきパスタって言ってたじゃん”
”何を今さら” “私は残り物を食べなきゃならんのか?”
”私がパスタを作っちゃいけないのか?”
などなど、くだらぬ反抗心がムクムクと顔を出してしまう。
助けを乞う時も、「Can you help me?」の方が
私にはしっくりする。
なんなら「Help me!」と叫ばれた方が雑念が浮かばなくて済む。

昔、友人に気になるお相手ができた。
どちらかといえば彼の方が押している時期だった。
しかし、電話で話しているといつも
「Do you want to come over?」と言われるのだという。
彼女もやはり “want” が引っ掛かるとこぼしていた。
向こうの方がグイグイ来てるくせに、
まるで自分だけが行きたがっているように感じてしまうと。
まさに、私が感じている感覚と同じだ。
来て欲しいなら「来たい?」じゃなくて「来てくれ」と
言ってほしいというのが日本人の感覚というわけだ。

この Do you want…? という表現は、実はよく使われる。
親が子どもに、お手伝いを促す時、
子どもに「やりたいか/やりたくないか」という
選択肢を与えることで、お手伝いが強制ではなく、
自主的に取り組むものだという思考を
育むことができるのだという。
つまり、Do you want…?の質問は
相手の意志を尊重する丁寧表現になっているのだ。

旦那の「手伝いたい?」も、友人の彼候補の「来たい?」も
決して上から目線や、冷めた言い方なのではなく、
「手伝ってくれない?」「来てくれない?」という
相手の気持ちに配慮した依頼表現というわけだ。

Do you want…? にいちいちとんがらず、
“OK” と素直に答えられる英語脳を育むべく
英語の修行は今日も続く。

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