私の英語が完璧でないのは百も承知だ。
私は自分でも嫌になるくらいスピーキングが苦手。
いつまでたっても上達しない。
読むことはある程度できるのだが
それがアウトプットにつながらないポンコツだ。
ちょっと留学を経験した程度で、
スラスラと喋れるようになっている人を見ると
不思議でならない。
私からは流暢に会話しているように見えても
ネイティブから見ると「内容は薄い」というケースも
もちろんある。
流暢に話せるだけもすごいことだとは思うが、
やはり自分が目指すのは、”歳相応”の受け答えだ。
母国語で話せる内容を
きちんと伝えられるようになりたい。
カナダに上陸した頃と比べれば
もちろん上達はしている。
しかし、その速度が遅すぎる。
カメ…いやナメクジ並みか?
それでも少しずつ前進しているのは間違いない。
遅いなりにもコツコツと積み上げてきたちっちゃな自信を
ことごとく打ち砕く人がいる。
それがうちの旦那だ。
うちの旦那が聞く耳をもっていないのは
このブログでもよく触れているが、
予定などを事前に伝えていても覚えていない。
うっすらと覚えていたとしても、
情報がすり替えられている。
「君は確か…こう言った」
いやいや、言ってないし。
私のアドバイスは、ほぼすべて聞き流される。
それはもう毎度のことなので別に気にならない。
ただ聞き流されているのならまだいいが、
通じていない疑惑を突き付けられると身の毛がよだつ。
先日もコンサートの帰り道、
私たちはストリートカーを利用した。
昔はダイレクトにうちの方まで走っていたルートだが、
途中のループで乗り換えが必要になってしまった。
しかし、実は夜間はダイレクトで走っている。
日頃使っていないとそんなことは忘れてしまうものだ。
そして乗る前にバスの正面に出ている
「どこ行き」というサインを見て思い出す。
その日に乗ったストリートカーの行先のサインは、
うちの方の終点だった。
「このストリートカーのサインは終点だったから、
乗り換えは必要ないはずだ」と力説するも、
旦那は「そんなことはあり得ない。
必ず乗り換えが必要だ。」と私の意見を一蹴する。
2日ほど前、ストリートカーのレール修理で
うちの方はバスの振り替えになっていたことを思い出す。
なんでもそうだが、えらく時間のかかるカナダ。
もしその修理が終わっていなければ
ストリートカーは通れない。
となれば、このストリートカーは折り返すかもしれない。
サインが終点になっていようが、
途中で「ラストストップ!」と言って降ろされることも
カナダあるあるである。
私は自信がなくなった。
疲れていた旦那は、
のろのろ運転のストリートカーにウンザリしたのか、
乗り換えの場所からはUberだとつぶやき始めた。
乗り換えのループに着くと、
旦那は真っ先に下車していった。
まぁ、Uber呼ぶ気ならいいだろうと
私もそれ以上止めずに旦那の後を追った。
(もう、面倒くさい)
ドアを閉めたストリートカーは
Uターンをすることもなく、
そのまま西へ向かって走り去っていく。
私の解釈が正しかったことが証明された瞬間だ。
「ほらね…」と私が言うと、
「君は、乗り換えが必要ない」とは言わなかったと
意味不明の反論をされた。
いやいや言ったし。
そんなに私の英語おかしいか?
私には小難しい話し方はできない。
ただただただシンプルに、
「このストリートカーは終点(うちの方)行き」だと
「だから乗り換えなくていい」と
確かに言ったぞ。
それすらも正しく通じていないとは…
ショックで気絶寸前である。
食い違い

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