言葉の壁を強く感じるのは、ケンカになった時だ。
自分の怒りを言葉にできないことほど腹立たしいことはない。
相手が言いたいことを言ってスッキリしている一方で、
こっちは怒りがマグマとして気持ちの中にくすぶり続ける。
そもそも、相手は母国語だけを使い、
私はその相手の母国語に合わせているという点でフェアじゃない。
少ないボキャブラリーを駆使して、
何とか怒りを伝えようと悪戦苦闘しながら発している言葉を
少しでも拾って理解しようとする優しさはないのか?
度合いを意味する表現は、ネイティブならそりゃあ一杯知ってるだろう。
でももし3つのレベル (上・中・下)の表現しか知らなかったら?
間違っていようがいまいが、それを使うしか手はない。
「この言葉があっているのか分からないが…」とか
クッションを挟んでも容赦はない。
ネイティブの間では “無礼” に当たるワードを発しようものなら
そこにブチ切れる。
「普通の人は、そんな言い方はしない!」と。
・・・
英語はダイレクトなので日本人からすると相当キツイ。
こっちこそ、散々無礼な言葉を浴びせられていると感じている。
それでも、「言語が違うから仕方ない」「これが英語の言い方なんだ」と
自分に言い聞かせ、こちとらなんとかやり過ごしているというのに、
たった1つのワードが無礼だったからといって
「普通の人じゃない」扱いってどういうことよ。
昨日、最近ストレスがたまりまくっているという友人から電話があった。
話を聞いていると、どれもこれもうちの旦那にもあてはまる。
瓜二つの兄弟か?
自分が理解している単語のニュアンスが
ネイティブの受け取るニュアンスと違うこともよくあることだ。
何の気なしに使った言葉に眉をひそめられ、
いつもからかわれていることを
逆にして返すと、「俺はそんな奴じゃない、
そういうことは言うもんじゃない」とキレられる。
「ジョークだよ」と言うと、
「君はジョークというものを分かってない」とダメ出しをされる。
はぁ??? あなたのジョークと一体どこが違うのよ?
”思いやり”という概念がこちらの人には欠けていると私は感じる。
彼らに言わせると
「責めているのではなくて、
自分が思ったことをただ口にしているだけ」なんだとか。
それを受け取る人が、自分とは違う感受性の持ち主だということを
慮るやさしさはこれっぽちも持ち合わせていない。
そんな人たちとやっていくには、相手の言うとおり、
言われたことを真に受けずにすべて聞き流すしか方法はない。
1つ1つ対峙していたのでは身がいくつあっても足りなくなる。
今は、どうにもならなくなると日本語で毒を吐いて発散しているが、
いつか英語ですべてまくしたててみたいものだ。
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