仕事の重み

仕事

カナダでは、「誰もが仕事をして収入を得る」
という考え方が根付いている。
「結婚して家庭に入る」という考えはないように思う。
そのせいか、会話では必ずと言っていいほど職についての質問をされる。

私はカナダ人との席には、大抵旦那と一緒ということが多い。
(相手には、私と旦那がカップルだということが一目瞭然の状態)
まずは、旦那が何の仕事をしているか?というところから会話が始まる。
一通り旦那の素性が分かったところで、
「それで、あなたは何の仕事をしてるの?」と、必ず話を振られる。
これが、私はとても苦手だ。
What do you do for a living? と聞かれるところに、
なにやらプレッシャーを感じてしまうのだ。

「お仕事は何をされていますか?」という単純な質問なのだろうが、
私の耳には “for a living” がやたら強調されて聞こえてくる。
実際に、この for a living を強調するようにしゃべる人も多い。
「生活のために/生計をたてるために、もちろん君も働いてるよね」
と暗に責められているような気がしてしまうのだ。
「今は家庭に入って家事してます」
「週2でパートに出てます」などと言える空気は
どこにも漂っていない。私が感じる限りは…

もちろん、旦那に頼りっきりで生きていこうとは思っていないし
フルタイムの仕事をしている。
ただその稼ぎが低いことにコンプレックスを持っている。
特別なスキルがあるわけではない私のような者にとっては、
当然ながら日系の会社の方が仕事を得やすい。
そして残念なことに、給料が低い。

旦那には、ことあるごとに「昇給を訴えろ」と言われる。
カナダでは、自分の仕事に対する対価を要求することが普通だ。
仕事量が増えれば、その分を要求する。
例えば、突然新人の世話を任されたとする。
しかし、もともと新人教育が自分の仕事の範疇ではなかったとしたら、
その分の対価を直訴するのは当然のことらしい。
対価なしでは教える義務はないという強いスタンスを持っている。
”それは私の仕事じゃない”と言って
頼まれたことを平然と断る場面を私も何度となく目にしてきた。
サービス残業などもっての他だ。

私が少しでも残業をしていたり、
休みの日にちょっとした対応をしたりすると、
「その分は払ってもらえるのか?」と突っ込まれる。
そして「払ってもらえない仕事をするのはおかしい」と指摘される。
日本の文化特有の「自分がやらなければ誰がやるのか」という
自己犠牲?責任感?のような行動はカナダ人には理解してもらえない。

よく考えれば、カナダ人から見たら
相当余計な仕事をしているのにもかかわらず、
稼ぎが少ないのだから本当におかしな話だ。

現在の仕事はコロナの影響がいまだに尾を引いており、
私の収入は減ったままだ。
副業の種をまいてはいるものの、まだ軌道には乗っていない…
大きく胸を張って「私はこれで生計を立ててます!」
と言える日は果たしてやって来るのか?
その日を目指して進んでいくしかない。

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